西郷どん 第19話の見どころ

この記事は、西郷どん 第19話の実況・感想まとめです。

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西郷どん第19話『愛加那』は、とぅまが吉之助の妻になる様子が描かれました。

今回も先週に引き続き奄美大島編で、二階堂ふみさんの熱演が目を引きましたが、それと肩を並べ注目を集めたのが、近藤芳正さんの悪代官ぶり。

濡れ衣を着せるために、手段を選ばない姿勢。とぅまを愛人にしようと迫るゲスさ。クラシカルな悪代官をこれでもかとばかりにベタに、且ついやらしく演じてくれました。

「この時ほど、鈴木亮平に変態仮面になって欲しいと思ったことはない」

SNSから、そんな声があがるほどの役作りでした。

さて、そんな悪代官が起こす事件をきっかけに吉之助(菊池源吾)ととぅまは結ばれます。

いったいどんな展開になったのか? みなさんの感想と感想まとめをご確認ください。

※これまでの感想・実況まとめは、コチラ → 西郷どん 感想まとめ

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西郷どん 第19話の実況と感想

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前回のあらすじ

月照との入水自殺に失敗。島送りとなった吉之助は、絶望の淵にあった。

島の人間と関わることを避け、苦悶する日々を送っていた中、一つの事件が起きた。

島の子供が藩に収める砂糖をつまみ食いしてしまったのだ。

役人は子供を追い回し、叩きのめそうとした。 そんな時、吉之助は無心で子供を救ったのだった。

そして、このことがきっかけで薩摩藩の陰を知り、とぅまと言葉を交わすようになったのだった。

前回:西郷どん 第18話「流人 菊池源吾」感想・実況『奄美大島編かなり面白くなってるぞ』

島民と薩摩の隔たり

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吉之助はすっかり島に馴染み、サトウキビの伐採を手伝うほどであった。

さらに薩摩から米が送られてくれば、握り飯にして子供たちに振る舞うなど、分け隔てなく交流する姿勢であった。

ところが、龍佐民はなかなか受け入れることが出来ない。吉之助はいずれ島を去る人間だと感じていたからだった。

佐民「童やヤンチュたちに米の飯をあげるんもやめてくりしょり」

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吉之助「んにゃおい一人では食べきれんで」
「米の飯はくん島では夢のようなごちそうです」
「夢を見せるのはやめてくりしょり」

りうみん
@yu_panzuki
この島にもTOKIOが来てサトウキビの作り方教わるんじゃないかと思うDASH脳w

  

2018-05-20 20:02:23

いが(たろに)
@iga_iganao
あいかわらず今自分の財布の中にあるものを今日全部配るみたいな生活設計するな…

  

2018-05-20 20:03:03

島の人Part2(第一次アイコン)
@simasyodes
先週も話しましたが西郷は「罪人」ではないので年6石の「給与」がありました。ですから島では「富裕層」レベル。

  

2018-05-20 20:02:14

山本八重さん@会津道\\\\٩( ‘ω’ )و ////
@aizu_sniper_yae
「この島では米の飯を食べるという事は夢みたいなものです。島の子供たちに夢を見せるようなことはしないでください」

  

2018-05-20 20:04:44

いが(たろに)
@iga_iganao
優しいのかもしれないけど長期的目線や中長期経営計画が全くないよね、ていうか頭使ってないよねというのを繰り返し書いてるわけだけど、それが西南にも結びつくよという話になるのかなあ

  

2018-05-20 20:05:29

木庭数図
@kiniwasuzu
字幕あると
「いやこれ普通にわかるやろ」って気分になり
字幕ないと
「何言ってるかよくわからん…」って気分になる
ままならない

  

2018-05-20 20:07:12

一二三
@nunonofuku123
西郷隆盛は徳川慶喜将軍擁立運動から安政の大獄の対象になったが、薩摩藩の命令だったので匿われての奄美大島遠島だったので6石=6000合/年の支給を薩摩藩から受けていた。
安政の大獄で薩摩藩への弾圧の不満に対抗した西郷隆盛は尊敬され代表にされた誠忠組が作られる。

  

2018-05-20 20:02:11

一二三
@nunonofuku123
薩摩藩は奄美大島支配でサトウキビ以外の栽培を禁止させた上、黒糖との交換で米などを高い利率で売り、調所広郷は一方で島民を士分を与え祝辞に寄付を出させ儲けた。
たとえるならカイジの
ペリカ=黒糖
ビール=米
帝愛グループ=薩摩藩
班長=龍家
利根川=調所広郷

  

2018-05-20 20:03:18

一二三
@nunonofuku123
黒糖地獄歴史
1610年頃直川智が福建から奄美大島にサトウキビ栽培伝える
1830年頃8代藩主島津重豪が将軍家輿入や蘭学研究で500万両の借金
1850年頃10代藩主島津斉興と調所広郷が黒糖地獄で借金を返し50万両蓄財を作る
→11代藩主島津斉彬が将軍家輿入と蘭学研究

  

2018-05-20 20:05:06

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正助の手紙

木場は正助から届いた手紙を吉之助へ届けた。

そこには、吉之助を薩摩に召喚するため、静かに過ごして欲しいと書かれていた。

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吉之助が島の人間のために働こうとすることは、島の人間にも、薩摩の同胞にとっても都合の良い話ではなかったのだ。

島民と薩摩の隔たりは、明らかだった。

一二三
@nunonofuku123
ちなみに、大久保利通の父大久保利世は奄美大島より南の沖永良部島代官をやっていたので、恐らく奄美大島にも何度も行ってるから大久保利通は奄美大島にもコネはありそう。

  

2018-05-20 20:08:44

鈴木健一
@kenichi_ssm
西郷どんが菊池源吾を名乗ったのは南朝方の菊池家の末裔という話はもう出たのかな?!
事実かどうかはわからないけど、幕末と室町時代の繋がりは結構ある。

  

2018-05-20 20:09:32

特急ニセコ
@ExpressNiseco
結局こういった島の人たちが文字通り救われるのは、日本が海外に負けた第二次世界大戦後まで待つ事になるんですよね…(;ω;)
実質会社に占領された形の南大東島という例もありますし…

  

2018-05-20 20:11:36

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