この記事は、
西郷どん 第27話「禁門の変」感想・実況の4ページ目です。

※これまでの感想・実況まとめは、コチラ → 西郷どん感想まとめ

禁門の変

吉之助は迷った挙げ句、薩摩軍も出兵させた。

天子からの勅命が下されたのだ。
「長州は すぐに撤兵すべし」
「この件の一切を一橋慶喜に任せる」

ここで出兵させなければ、薩摩が朝敵になってしまう。吉之助には出兵以外に選択肢はない状況であった。

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兵を前にした吉之助は、不要な殺生は避けようとした。

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「こん戦、長州を討つ事が目的にあらず」
「我らは 禁裏守護の名のもとに」
「こん王城の地より長州を退去させる事こそ、大事とする」


こうして、元治元年7月19日 早朝。
長州軍が 御所を目がけて進軍を開始した事により世に言う 禁門の変の火蓋が切られた。

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薩摩は、川路利良が来島又兵衛を討ち取り、決着がついたと刀を置いた瞬間、会津軍が長州に斬りかかっていったのだった。

再び戦火は拡がり、吉之助は銃弾を受け、脚を負傷した。
吉之助は手当を受けながらも、大声で叫んだ。

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「これ以上 戦を広げてはならんのじゃ!」

しかし、無情にも幕府はその手を緩めなかった。

火は風に乗って、どんどん街中に広がったのだった。

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おおつき
@na10ka23ta
思ってたより長州力の滑舌がいいぞ

  

2018-07-22 20:36:01

まとめ管理人
@1059kanri
リキラリアットの瞬間が横と後の2カットあって大満足w

  

2018-07-22 20:39:07

ぬえ
@yosinotennin
相変わらず、ワンシーンワンシーンはすごく劇的で面白そうなんですよね…

  

2018-07-22 20:33:03

一二三
@nunonofuku123
この辺の薩摩藩の立場は超微妙で、参与会議崩壊で一橋派と対立していたが、まだ公武合体派として長州とも対立していた状態。
というか、そもそも一番長州と対立してたのは薩摩藩で、一橋と対立した直後で今更路線変更できない状態。

  

2018-07-22 20:34:52

一二三
@nunonofuku123
長州力が来島又兵衛役だが、新日本プロレス時代、山口出身と天龍とか違い非主流だったので「革命戦士」と呼ばれ、先日おなくなりなったマサ斎藤などと「維新軍」「革命軍」を結成し新日本流と戦った。

  

2018-07-22 20:35:45

よし
@korakuyoshi
禁門の変の前、ほとんどの藩は京が歴史の中心になるとは思わず、要人も藩兵も置いていませんでした。
だから、閑職にいた西郷が薩摩藩兵を指揮するしかなく。
これにより、勝戦を指揮した西郷の地位が上がるのです。

島帰りの男が急に活躍できるのは禁門の変のお陰。

  

2018-07-22 20:34:19

ぬえ
@yosinotennin
来島又兵衛が長州力さんか!長州だけに!ってやかましわ!#西郷どん

  

2018-07-22 20:36:12

石田三成
@zibumitunari
薩摩も長州も喧嘩するなって…
貴殿らの御先祖、関ヶ原の時は一応同じ西軍の仲間だったんだぞ。

仲良くしようぜ

  

2018-07-22 20:37:34


@s_abagashira
ちょおおお 会津に全悪役ひっかぶせるのやめてくんない

  

2018-07-22 20:40:36

Watanabe
@nabe1975
慶喜様がどんどん後白河化してきているような。

  

2018-07-22 20:42:10

まとめ管理人
@1059kanri
ここ長州が薩摩の勧告で武装解除し降伏したのなら、降伏した兵を守る義務が薩摩にはあったはずなのに、西郷はそこをほったらかしにしてるんですよね 

  

2018-07-22 20:41:31

ぬえ
@yosinotennin
おおう、この一橋慶喜様のドライっぷり凄くよい。
…からの、後白河法皇的な哄笑!松田翔太さんのこの声、懐かしい。
「ゾックゾクしてこよう!」とか言い出しそう #西郷どん

  

2018-07-22 20:43:19

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西郷どん 第27話「禁門の変」感想

Watanabe
@nabe1975
【今週のまとめ】
リキラリアット

  

2018-07-22 20:43:36

海野つなみ
@uminotsunami
エンディングはまた育三郎さまの麗しい歌

  

2018-07-22 20:43:36

まとめ管理人
@1059kanri
来週はまるまる「勝海舟史観」っぽいですね

  

2018-07-22 20:43:43

アロエ
@alo0e0
みつおくん
幕末で銃を持ち(西郷どん)
戦時中にシベリア(マッサン)
昭和の米屋で嫁に尻を敷かれ(ひよっこ)
平成で嫁の仇をとってる(アンアチュラル)
忙しいな。

  

2018-07-22 20:44:00

ビビる大木
@bibiruookichan
リキラリアットを大河ドラマで見ることになるとは!

小学生の頃、名勝負数え歌(藤波辰巳戦)を見ていたときには想像もしてなかったな〜

  

2018-07-22 20:44:41

坂本龍馬
@historical_per
物足りん…
先々週の特番を八月十八日の政変と池田屋事件、そして禁門の変に割くことは出来んかったがやろうか…

  

2018-07-22 20:45:31

かな ドラマ鑑賞アカ
@kanadorama
中園さんは、人と人の会話が生む情動とか、絵面の美しさが生む突き上げるようなロマンとかがやっぱり長所、得意技なんだよなぁって。吉之助の「チェストォォ!」の咆哮、川路を振り返る半次郎のシーンのゾクッとする高揚なんかも素晴らしかったですし。

  

2018-07-22 20:46:07

町田 明広
@machi82175302
「西郷どん」27回目を拝見!本日もタイトルロールの人物名に興奮です!中村半次郎、川路利良も初登場、桂小五郎、久坂玄瑞、来島又兵衛の長州勢も!!血沸き肉躍る感覚です(^^) 西郷と慶喜の絡みなど、ドラマとしての展開は面白かったのでは? 

  

2018-07-22 20:46:24

町田 明広
@machi82175302
タイトルロールに長州ことば指導として、三宅あみさんのお名前を発見!あみさん、大河デビュー、おめでとうございます(^^) 長州力に長州ことばの指導だったんでしょうね!リキ・ラリアットも炸裂!!!

  

2018-07-22 20:47:35

町田 明広
@machi82175302
今回のストーリーを追う前に、ここに至る経過を整理しておこう。朝政参与体制(参与会議)崩壊後、島津久光は「禁闕守衛」の遵守を言い残して、鹿児島に戻った。大久保一蔵、高崎正風・五六らが追従して帰藩、小松帯刀・西郷吉之助・吉井友実・伊地知正治らが在京となった。

  

2018-07-22 20:48:01

町田 明広
@machi82175302
久光は1/3にあたる500の兵力を残留させたが、目的は「諸藩人数ヲ残禁闕守衛ニ備フ、我人数ハ五百ヲ残御名代図書殿(久光次男:島津久治)是ヲ宰シテ非常ニ備フ」(『鹿児島県史料(大久保利通史料)』)、つまり御所警衛のためであった。

  

2018-07-22 20:48:17

町田 明広
@machi82175302
当時は諸侯が次々に退京を始めており、財政問題も相俟って兵力と呼べるような在京藩士は残っておらず、薩摩藩の500は過大な兵数であった。なお、御所警衛もさることながら、長州藩の率兵上京に伴う戦闘を意識していたことは自明であった。

  

2018-07-22 20:48:57

町田 明広
@machi82175302
薩長関係は、8月18日政変および薩摩藩船砲撃(文久3年12月24日、幕府借用船が砲撃され、68人の乗組員中28名が溺死)で冷却し、一触即発な関係であった。久光は国元の藩主茂久に出兵の怠りない準備を指示(元治元年2月9日)、茂久はそれに応えて軍事操練を継続していた。

  

2018-07-22 20:49:27

町田 明広
@machi82175302
久光は帰藩にあたり在京藩士に対して、「将来他事ニ亘ラス一向禁闕ノ守護ニノミ力ヲ尽スヘシ」(『忠義公史料』3)と、御所の警衛のみを命じる諭告をした。薩摩藩・久光を誹謗中傷する貼紙・風評が流布していた。

  

2018-07-22 20:49:53

町田 明広
@machi82175302
さらに、政敵ともいえる慶喜が中央政局の中心に座っており、中央政局において、薩摩藩は情勢を座視するしか当面はなす術がなく、在京藩士が国事周旋を図ることは厳に慎むべきと久光が判断したことは、至極妥当な政略であった。

  

2018-07-22 20:50:23

町田 明広
@machi82175302
小松以下、西郷を始めとする在京藩士はその遺策を順守することが求められ、周囲の雑言を全く無視して、禁裏守衛一筋にまい進し、長州藩およびそれを支持する廷臣や尊王志士の動向を熟視していた。薩摩藩の政治力の炸裂である。

  

2018-07-22 20:51:04

町田 明広
@machi82175302
この段階の在京薩摩藩士の関心は、外国艦隊の長州藩攻撃がいつ頃になり、どの藩が援兵を派遣するのか、また、長州藩が七卿を旗印に率兵上京をいつ頃開始するかにあった。西郷は京都・大坂間を行き来して、情報収集に努めていた。

  

2018-07-22 20:51:32

町田 明広
@machi82175302
その矢先の6月5日、新選組が浪士集団を襲撃した池田屋事件が起きた。これを契機に6月後半になると、長州藩の三家老(国司信濃・福原越後・益田右衛門介)が久坂玄瑞らを参謀とし、上方への進軍を開始して月内には嵯峨天龍寺、石清水八幡宮などを占拠した。

  

2018-07-22 20:53:12

町田 明広
@machi82175302
長州藩の率兵上京に動揺した幕府から派兵を要求されたが、薩摩藩・小松帯刀としてはあくまでも長州・会津両藩の私闘と規定し、それを声高に主張して、幕命を拒絶している。その背景には、禁裏守衛に専心するという久光の遺策の順守の方針があった。

  

2018-07-22 20:55:42

町田 明広
@machi82175302
西郷も無名の軍を起こす必要はなく、長州藩への旧怨は当然のことではあるものの、この事態に乗じて無名の軍を起こしては、汚名となってしまうと主張するなど、従順に久光の命に従った。

  

2018-07-22 20:55:58

町田 明広
@machi82175302
在京藩士の中には異論を唱える者もあったが、小松の強力なリーダーシップの下、実際には西郷が説得役となって沈静化を図っており、次なる事態に備えて藩邸全体が泰然自若としている様が窺える。しかし、長州藩の率兵上京、それに続く京都市中への進軍・駐屯によって、事態は大きく転換した。

  

2018-07-22 20:56:25

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