この記事は、
西郷どん 第28話「勝と龍馬」感想・実況の4ページ目です。

※これまでの感想・実況まとめは、コチラ → 西郷どん感想まとめ

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一橋慶喜との決別

吉之助の妙案は成功した。長州藩主から、総大将である徳川慶勝に降伏受け入れの書状が届いた。

「信じられぬ。これはまことか?西郷」
「はい。全て我ら幕軍の申し条に従うとの事」
「西郷!ようやった!」
「はっ、もったいなきお言葉」

徳川慶勝に激賞された吉之助だったが、1人納得しない人物がいた。

一橋慶喜である。

twimg.com

「お前には失望した」
吉之助「…と仰せられますと?」
「何をぬけぬけと」
「お前がやった事は一から十まで幕府への裏切りだ」

怒りに任せ、慶喜は吉之助に切腹を迫った。

twimg.com

すると、吉之助は短刀を取り出した。そして、いまにも斬りつけんばかりの勢いで慶喜の目の前の畳に突き刺したのだった。

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「こいでもう昔の縁は断ち切りもした!」
「我らもはや…ここまででございもす」

そう言って吉之助は慶喜の前を去っていったのだった。

海野つなみ
@uminotsunami
こんなのヒー様おもらししちゃうよ!

  

2018-07-29 20:41:46

歌丸
@LCdP_taiga
【速報】徳川慶喜くん、友達が減る

  

2018-07-29 20:39:02

なかむら
@tkbnkmr
「うちの地元の英雄はあんな性格してない!」ってクレームつける視聴者の気持ちがようやくわかってきた水戸県民なのであった

  

2018-07-29 20:39:34

いが(たろに)
@iga_iganao
※こんなこと慶喜の家でやってたらさすがに家臣に斬られます

  

2018-07-29 20:41:18

うにたろう
@Gq6lo
明治になり、西郷隆盛は大久保利通宛の書状で徳川慶喜の切腹を強く求めたそうだ。

こういう般若の様な形相でのやり取りがあってもおかしくは無い

ふと思い出して「あんにゃろー!ぶっ殺す!」みたいな感じ

  

2018-07-29 20:39:43

あいんず
@MLZ0902
お前、いつも腹切らされてるな

  

2018-07-29 20:40:45

石田三成
@zibumitunari
こんなに切腹命じられたことがある主人公というのもある意味珍しい

  

2018-07-29 20:40:10

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西郷どん 第28話「勝と龍馬」感想

ぬえ
@yosinotennin
幕末日本は隅から隅まで西郷を知ってるし吉之助さぁなくしては上手くいかないし、彼以外の人間は全て無能になっちゃうの。しかたないね、主人公だからね。#西郷どん

  

2018-07-29 20:41:34

一二三
@nunonofuku123
正直、一橋慶喜と薩摩藩の共闘と対立は、「どんな幕末ドラマでもわかりにくい」「幕末がまったくわからない」と言われる原因の一つ。
こまけーことは良いので、こっから一橋慶喜VS薩摩藩(西郷隆盛)となったとわかればよい。

  

2018-07-29 20:42:12

🐰蓮花茶☂実況🐲
@lotusteajikkyou
鈴木亮平と松田翔太の決裂シーンの演技すごいんだけど、「ところでこの二人なんで揉め始めたんや?」とふと疑問が 

  

2018-07-29 20:43:13

Sakura Junichiどん
@kagopic
小松帯刀、涼しい顔してますが、翌年から偽金作りに関与します。

  

2018-07-29 20:43:48

ななお
@nanao77755
あんまり慶喜を小物に描くと、斉彬様の目が節穴ってことにならんか?(´・ω・`)

  

2018-07-29 20:45:14

マルコ@drama
@marukodorama
この後翌年には将軍家茂の死と慶喜の将軍就任、孝明天皇の死。更にその翌年には大政奉還。その後の江戸城無血開城、4年後には明治新政府樹立に繋がると思うと、この時代の転換の速さ凄まじさにただただ呆然としてしまう。当時の人よく付いて行けたなぁ💦。

  

2018-07-29 20:46:30

ぺんこ
@penkozatta
きょうの西郷どん、客人に合わせ馬鹿みたいにゲラゲラ笑って気を許したと見せかけ、急に真顔になって拳銃チラつかせて脅すリョが見れただけでも収穫すぎるんだよな オーケー 生かさせてもらいます

  

2018-07-29 20:49:57

粒山 樹
@ishin_saigou
今回の『西郷どん』で、「禁門の変」で被災した町民に対し、薩摩藩が兵糧米を配るシーンがありましたが、それは事実に基づいたエピソードです。
このことは、西郷書簡にも、そして小松書簡にも出てきます。(続)

  

2018-07-29 20:47:50

粒山 樹
@ishin_saigou
まず、西郷書簡ですが、元治元年8月1日付け大久保一蔵宛て書簡には、「天龍寺において長人囲い置き候米五百俵計りこれあ候に付き、京都市中焼失の者共甚だ困窮いたし居り候に付き、都て施行に出し候処、余程あり難がり向きに御座候」とあります。(続)

  

2018-07-29 20:50:44

粒山 樹
@ishin_saigou
また、小松の書簡も大久保に宛てたもので、前日の元治元年7月晦日付けで、「分取米四百九十俵位御座候処、市中失焼ニ付、施行として差出候処、余程一統難有、夫ニ而壱日之渡世もいたし候位之事ニ御座候」とあります。
このように、薩摩藩は戦後の市民感情にも気を配っていたのです。

  

2018-07-29 20:53:28

もっち
@motchy1984
ファンの贔屓目なのはよーく分かってるんだけど、それにしても今日のエンケン勝海舟様素敵すぎた。
ビジュアルもお声も江戸っ子な喋り方も煙管の扱いも全部好き。
こんな人にならついて行きたいと思えたもの。

  

2018-07-29 20:50:11

仙人掌
@longjie29
ずっと民、民、連呼するの気にかかってたけど、直虎とは何が違うのか考えたら、西郷やふき、勝が言う民の顔が見えなくて、アフリカの恵まれない子供たち並の無力な者扱いになってるから何も響かないのか。

  

2018-07-29 20:51:40

町田 明広
@machi82175302
「西郷どん」28回目を拝見!本日は勝海舟・坂本龍馬との出会い、勝に感化される西郷、西郷最大の功績・第1次長州征伐が描かれました。西郷と慶喜の絡みは緊迫感ある展開でしたが、ドラマとして面白かったですね(^^) すいません、今日はちょ…

  

2018-07-29 20:52:45

町田 明広
@machi82175302
元治元年(1864)7月に勃発した禁門の変直後の長州藩に対する薩摩藩の方針は、小松帯刀を中心に西郷隆盛・吉井友実・伊地知正治の在京要路の認識に基づいており、将軍家茂の進発を前提とした強硬論であり、実際の戦闘を体験している在京藩士が即時征討を唱えるのは当然であろう。

  

2018-07-29 20:53:32

町田 明広
@machi82175302
西郷らの強硬論は当たり前であり、中央政局の雰囲気そのものであった。しかし、将軍進発は宣言されたものの、容易に実現する気配はなく、征討総督の人選も二転三転して難航したが、総督に前尾張藩主徳川慶勝、副将に越前藩主松平茂昭が指名された。

  

2018-07-29 20:53:48

町田 明広
@machi82175302
一方で、薩摩藩の内政においては、国政重視への不満や経済的窮乏から、下層藩士の勢いが増しており、その動向を抑えて上からの統制を取戻し、また、様々な藩政改革を実現するため、島津久光の実質的名代として在京する、小松の早期召還は避けられない情勢であった。

  

2018-07-29 20:54:06

町田 明広
@machi82175302
中央政局の不穏な状況から、小松帯刀はなかなか帰藩できなかったが、禁門の変で長州藩を撃退したため、暫時の帰藩が可能と判断され、小松は8月22日に大坂を発して鹿児島に向かった。これ以降のかじ取りは、西郷が中心となった。

  

2018-07-29 20:54:23

町田 明広
@machi82175302
このころ、越前藩から在坂の勝海舟が幸いにも江戸に戻る予定であるため、将軍進発の尽力を依頼しようとの提案があり、西郷はそれに応じ吉井友実らを伴い、9月11日に面談に及んだ。西郷は勝を責めつけて関東に下向させ、将軍上落を図るつもりであった。

  

2018-07-29 20:55:19

町田 明広
@machi82175302
勝は、江戸幕閣は因循の臭気が抜け切らず、特に近頃は安政の大獄に関わった俗吏が復活しており、帰府後の周旋は全く無意味であると厳しく拒絶した。そして、幕府は当てになどならず、将軍の進発は不可能であり、雄藩が奮発しなければ長州征伐など画餅であると切言して、西郷らを驚かせた。

  

2018-07-29 20:55:50

町田 明広
@machi82175302
勝の国政論は、公議会を設けて諸藩士といえども希望者は出仕させ、公論によって国是を定めるべきであるとの策であった。西郷は、この方法でなければ国家の挽回はあり得ないと同調する。

  

2018-07-29 20:56:10

町田 明広
@machi82175302
また、西郷が外国艦隊の摂海侵入に対する方策を勝に尋ねたところ、賢明の諸侯四・五人による諸侯会議によって対応し、通商条約を結び直せば皇国の疵とならず、異人も条理に服すると勝は説いたため、西郷も感服して賛意を表した。

  

2018-07-29 20:57:25

町田 明広
@machi82175302
西郷がこの時点で描く「共和政治」の中心は諸侯会議で、実現しない場合は鹿児島に割拠して富国策を講じる必要があると考えており、この方針はまさにその後の久光の考えと合致した。長州征伐後の薩摩藩の方針については、参与会議が失敗したばかりで次なるビジョンに確固たるものがなかった。

  

2018-07-29 20:57:43

町田 明広
@machi82175302
そのため、西郷は勝の「共和政治」という諸侯会議構想に大きな関心を示した。今後の有力な藩是として認識し、その実現が叶わない場合は、国許に割拠して富国強兵を図り、幕府との対峙も辞さないとする志向が西郷の中で醸成されていった。

  

2018-07-29 20:58:01

町田 明広
@machi82175302
なお、西郷は大久保宛書簡(9月16日)で、「然しながら、次第して申さば、長征の処第一の訳に御座候間、折角促し立て、油断は致さず候間、左様御納心下さるべく候」と述べていることから、通説では勝との会談によって、長征強硬路線から後退したとされてきたがそうではない。

  

2018-07-29 20:58:48

町田 明広
@machi82175302
西郷・勝会談は、勝が西郷に幕府の内情を暴露したと同時に、その後の薩摩藩の国事周旋への示唆を与えたことに重要性があり、だからこそ西郷は勝を甚だ深く信頼したのだ。ところで、西郷と龍馬の初対面はいつだったのか?恐らく、西郷・勝会談前の8月中旬頃らしいが詳細は実は不明。。

  

2018-07-29 20:59:04

町田 明広
@machi82175302
ところで、西郷は勝の第一印象を、「実に驚き入り候人物にて最初は打叩く賦にて差し越し候処、頓と頭を下げ申し候、どれ丈ヶか智略のあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候、先ず英雄肌合の人」と、底なしの英雄に出会ったと手放しで絶賛した。

  

2018-07-29 20:59:27

町田 明広
@machi82175302
西郷は勝を表して、「現時に臨み候ては、此の勝先生とひどくほれ申し候」と述べ、心から心酔していることがうかがえる。この出会いが、江戸城無血開城に繋がっていくことを、両者はまだ知らない。

  

2018-07-29 20:59:44

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