西郷どん 第30話の見どころ

この記事は、西郷どん 第30話の実況・感想まとめです。

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西郷どん第30話は怪人・岩倉具視との出会いの様子が描かれました。

朝廷から追い払われ、貧しい蟄居暮らしを強いられていた岩倉。すでに過去の人に見なされていたものの、吉之助は強く興味を抱き、関係を深めていくのでした。

そんな中、一筋縄ではいかない岩倉を笑福亭鶴瓶が抜群の存在感で好演…と思いきや、ネット上の反応は・・・

鶴瓶師匠演じる岩倉具視について、ネット上ではいったいどんな反応があったのか? 西郷どん第30話の実況・感想まとめをご覧ください。

※これまでの感想・実況まとめは、コチラ → 西郷どん 感想まとめ

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西郷どん 第30話の実況と感想

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前回のあらすじ

長州征伐でその名を轟かせた吉之助。1年ぶりに薩摩へ戻ると、方々から嫁取りのプレッシャーがかかりました。

そんな中、旧知の仲である岩山糸と引き合わされます。実は糸は離縁して、実家に戻っていたのです。

周囲がお似合いだとその気になるものの、糸は「私はふさわしくない」と縁談を固辞するのでした。

それは、自分は子供の出来ないカラダだと思っていたから。離縁もそれが理由でした。

しかし、一度は縁談を断られた吉之助ですが、糸の家を訪れ再チャレンジをします。

それでも、断ってしまう糸でしたが、父から自分の思いに素直になるよう諭されると、出立した吉之助の後を追い、2人は結ばれたのでした。

前回:西郷どん 第29話「三度目の結婚」感想・実況『吉之助に騙される久光カワイイww』

近衛家の反応

吉之助は京に上り、朝廷と慶喜を切り離すべく近衛家にお願いにあがった。
ところが、反応はイマイチだった。

吉之助「近衛様どうかお力添えを」
「分かるけどなぁ。まろらは一度幕府の井伊大老のいじめで泣きを見てるんや」
「そうや。下手な事して都を所払いにでもされたらどないしてくれますのや。あ…噂をすれば何とやら」

「所払いされたヤモリからや」
「ヤモリ?」

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「見てみ。下手くそな字ぃや」
「鼻紙にもならへんわ」

そう言って近衛忠煕は、笑った。
明らかに岩倉具視を見下していた。

そして、岩倉具視から届いた手紙を吉之助に見せたのだった。

そこには・・・

「天下の御政道を悪用するような事があればすぐに朝廷と幕府を引き離さねばならない。それがかなわぬ時は幕府を倒す事もやむなし」
吉之助の興味をそそる冒頭であった。
しかし、当の岩倉具視は、
大久保一蔵に会えば無心を繰り返すような男に成り下がっていた。

そして、ヤモリという蔑称を拝借していたのだった。

なかむら
@tkbnkmr
今週は「鶴瓶の華族に乾杯」になるんかいな

  

2018-08-12 20:04:45

一二三
@nunonofuku123
ちなみに岩倉具視は、才能があったが容姿や字など芸術系は恵まれず、若い頃は顔が四角いから公家の女子から「岩吉」と呼ばれていた。今で言う「岩倉具視って顔がばくだん岩みたいだよねー!いややわー!」みたいなアダ名を公家の腐女子からつけられた可愛そうな人。

  

2018-08-12 20:03:48

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ヤモリの岩倉具視

吉之助は岩倉具視から一蔵へ届いた手紙を読んでいた。
そんな吉之助に新八は声をかけた。

新八「吉之助さぁないを読んじょっとでごわすか?」
『天子様は親であり民草はなべて天子様の子である。身分の違いはない。そういう世にしなければならない』
「ほんのこてご立派な志じゃ」

新八「じゃっじゃっ」
「一蔵どんこんヤモリ様に会わせてくれんじゃろか」
「岩倉様に?ないごて?」
「んにゃここに書かれちょっこつがまことなら朝廷と幕府を切り離すために動いてくれるかもしれん」

ところが、一蔵はいい顔をしない。
岩倉具視は頼りにならないと言うのだ。

その証拠に手紙の最後を読めと言った。

『ついてはまろが都に戻れるようお取り計らい願いついでに些少の金子を拝借願いたく申し上げ候』
「見てみ。やっぱい無心じゃ」

しかし、吉之助は食い下がった。

「じゃっどん岩倉具視様っちゅうたら和宮様と公方様の御縁組みを進められた力のある御方じゃろ?」
「あんころは輝いちょった」
「天子様はまろを無二の友とお慕いして下さる」っちゅうて…」

岩倉具視は孝明天皇のもと、当時誰もがかなわぬと思っていた和宮降嫁すなわち公武合体を成し遂げた。
ところが、その後尊皇攘夷派の公家が台頭。岩倉は朝廷を幕府に売った大罪人と糾弾され朝廷から追放されたのだった。

つまり、もはや過去の人という見方が一般的だった。
しかし、吉之助はヤモリと呼ばれ、自らと重なるような不遇な時を過ごす岩倉に興味を抱いたのだった。

一二三
@nunonofuku123
岩倉具視は元は日米和親条約に勅許を出させない運動をし、公武合体派として和宮を徳川家茂へ降嫁させたが、その事で1862年に攘夷派から朝廷追放され岩倉村隠遁、攘夷派が追放後も公武合体派からは攘夷派と思われ復職されず。1868年明治天皇即位する恩赦によってやっと復帰する。

  

2018-08-12 20:08:01

一二三
@nunonofuku123
岩倉具視も不思議な人で、元々攘夷派で、桜田門外の変の後は公武合体派となり皇女和宮を徳川幕府嫁がせる運動をした事で「幕府よりの佐幕派」と思われ追放され岩倉村に隠遁。しかし、実際は攘夷派であり薩摩藩などの倒幕の朝廷工作の切り札として復帰。

  

2018-08-12 20:08:53

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