この記事は、
西郷どん 第30話「怪人 岩倉具視」感想・実況の4ページ目です。

※これまでの感想・実況まとめは、コチラ → 西郷どん感想まとめ

一蔵の計らい

鍛錬場で一蔵と吉之助は言葉を交わした。

「吉之助さぁもう諦めんか」
「おいが出会った頃の岩倉様は自信と誇りに満ちあふれちょった」
「じゃっどん今はもう自分が公家であられた事すら忘れちょっ。そうじゃろか…」

「ん?」
「あの大切にしまってあった着物…」
「いつ都に戻ってもいいようにまめに自分で手入れしちょっとじゃ」
「よみがえる…必ずよみがえるはずじゃ」
「こいだけご立派なお考え政に生かしたかち思わんはずはなか」

薩摩の二才たちの気迫のこもった声が響く。
「チェ~!」


「じゃっどん箱の中に入ってるままでは誰も読む事はできんど」
「そんとおりじゃ」
「じゃっどんたとえ文を出したところで近衛様のようにゴミ扱いじゃ」

twimg.com

ほどなく、一蔵は岩倉宅を訪れていた。
そして、小判を手渡した。

「吉之助さぁが博打で負けた分はそれで足りますな」
「足りるも何も多すぎるやないか」

「これが最後でございます」
「岩倉様にお会いするのは金輪際ないと思っております」

「そういう事か。望むところや」
「もう薩摩の芋の顔なんか見とうないわ」
「残念です」

そんな時、遠くから吉之助が岩倉を呼ぶ声がした。

「岩倉様!」

かな ドラマ鑑賞アカ
@kanadorama
博打の負け分を手切れとして持ってきた一蔵どんの本音は「これ以上うちのひとを悲しませたり、倒幕でたぶらかしたりしないでもらいます」なんだろうけど…

  

2018-08-12 20:39:59

いが(たろに)
@iga_iganao
これAスタジオの客前トークでしょ、見たことある

  

2018-08-12 20:40:05

まとめ管理人
@1059kanri
先週も思ったけれど、今週も「これ今の時期に1話使ってやる話か?」という感想になってしまうなあ(;´Д`) #西郷どん

  

2018-08-12 20:38:54

吉之助のサプライズ

見ると、吉之助が薩摩藩の若者を大勢引き連れていた。

「よ~し入れ入れ。奥まで行け奥まで」

twimg.com

岩倉「何やこれ!」
吉之助「おはんら!こん御方が岩倉具視様じゃ!」
一同「おおっ!」

「何やこれ。おはんらないをしに来た?」
「岩倉先生!先生?おいは…おいは感服致しもした!」

吉之助は若者たちに岩倉の話を聞かせていたのだった。

「こげなすごかもん生まれて初めて読みもした!」
「何とぞ今少し先生のお話をご教授してくいやんせ!」

熱心に頼み込む若者たちに対し、岩倉は厄介払いしようとした。

「よっしゃ分かった!話聞かしたろ」

一同「お~っ!」

岩倉「み~んな嘘や!」
「そこに書いてあんのはみんな嘘や!」
「まろは天子様のそばなんか行かれへん」
「天子様に忘れられた身や!分かったか?」

破れかぶれになって、そんなことを言う岩倉に吉之助がサプライズを仕掛けた。

なんと、そこには岩倉の息子・周丸の姿があったのだ。

twimg.com

「周丸か…?」「はい」
「周丸にございます。お父上」
「お父上お会いしとうございました」

吉之助「ご無礼ながら周丸様が是非お伝えしたい事があると申されましたゆえお連れ致しました」

周丸「やっと天子様よりお許しを賜れたのでございます」
「何やと!?」
周丸「天子様のおそばにお戻し頂く事がかのうたのでございます!私も兄上も」

それだけでは済まなかった。

「天子様よりお父上へのお言葉も賜っておりまする。『岩倉は達者であるか。朕は決してそなたを忘れてはおらぬぞ』と」

この言葉を聞いた岩倉は、駆け出し、跪いて天子様の居る方へ頭を下げた。

「天子様!岩倉は息災でございます」
「今すぐ…今すぐ天子様にお目にかかりとう存じます!」

鐘の音が鳴った。

「よっしゃ!」
「ほんならまろのありがたい話聞かしたろ!」
一同「おおっ!」
「その前に木戸銭もらおうか」

twimg.com

「また金でごわすか」
「案ずるな損はさせん」
「まろに尽くしといたら必ずええ事ある」

「まろは必ず都に天子様のおそばに戻る!」
「まろはこのままでは終わらへんで」

まとめ管理人
@1059kanri
話を進めるのに伏線無しで突然新キャラを出すのはやっぱり悪手だと思うのです #西郷どん

  

2018-08-12 20:41:32

ミィ
@h1127s
大野拓朗さんも錦戸亮さんもかごっま訛りが上手!!!!!
誰かーー!!ご本人に伝えてーー!!鹿児島市民の私、感動してる!!

  

2018-08-12 20:41:55

一二三
@nunonofuku123
史実では、岩倉具視は孝明天皇存命中は許されず、孝明天皇死去の明治天皇即位の恩赦でやっと参内を許された。

  

2018-08-12 20:42:14

名前はまだ決まらない
@namaehamada_nai
一応全部の回見てるけど、ちゃんと描いてないから手紙読んだだけの若者たちが「こんなすごかもん、初めて読みました!」って押しかけて来ても何がどう凄くて岩倉具視がどう必要なのかわからない気が…

  

2018-08-12 20:40:25

西郷どん 第30話「怪人 岩倉具視」感想

こまつな
@kmtn_bb
何というか、鶴瓶さんが一人称「まろ」と言うことにした鶴瓶さんにしか見えなくて、茫然と見てたら終わった。

  

2018-08-12 20:45:08

土方たくあん
@nyanyakin0328

岩倉具視と薩摩藩士達がグルーとミニオンに見えた

  

2018-08-12 20:44:49

名前はまだ決まらない
@namaehamada_nai
問題が一瞬で片付いた。これなら公武合体、和宮降嫁に一回使った方が歴史ドラマとして面白かったのでは…?

  

2018-08-12 20:43:56

こまつな
@kmtn_bb
一蔵どんの苦虫噛み潰したような顔とか、ヒー様が女の機嫌うまく取れなくて江戸弁でイラッとする声とか、細かい萌えポイントはいっぱいあるんだけど。しかし鶴瓶さんインパクトが上回る。鶴瓶さんショー。#西郷どん

  

2018-08-12 20:52:11

町田 明広
@machi82175302
「西郷どん」30回目を拝見!本日は西郷と岩倉具視の出会い、西郷が岩倉の国事にかかわるやる気をもう1回、引き出すまでが描かれました。今回は、脚本家の腕の見せどころの回でした(^^) 岩倉がどうしても鶴瓶だった! 

  

2018-08-12 20:46:14

町田 明広
@machi82175302
ドラマの展開、時系列的には慶応元年(1865)2月から4月か。この間、西郷が岩倉具視と面会しているかは分からないが、可能性は極端に低い。大久保の面会も無理があるか。西郷が上京後、薩摩藩士以外で最も面談した人物は、土佐浪士の土方楠左衛門である。

  

2018-08-12 20:46:59

町田 明広
@machi82175302
西郷は2月6日に鹿児島を後にして京都に向かった。当時、大久保利通は在京して、幕府が命じた参勤交代・諸侯妻子在府の復旧および毛利父子・五卿の東行を中止させる活動を行っており、西郷はその援護射撃するため上京する予定であったが、五卿の待遇改善を求めるため、大宰府経由となった。

  

2018-08-12 20:47:39

町田 明広
@machi82175302
西郷は、福岡藩同志の月形洗蔵と早川勇らに対し、薩摩・長州・福岡の西国雄藩連合による率兵上京によって、五卿(三条実美、三条西季知、東久世通禧、四条隆謌、壬生基修)の復権と朝威の回復を図りたいとし、そのための地ならしに上京すると述べている。

  

2018-08-12 20:48:07

町田 明広
@machi82175302
この連合構想において、五卿は、特に三条実美は推戴する貴種として極めて重要であり、その復権のために付き従うというのは、率兵上京の大義名分にも成り得た。なお、八月十八日政変時は七卿だったが、錦小路頼徳は病死、沢宣嘉は脱走中で五卿になっていた。

  

2018-08-12 20:48:36

町田 明広
@machi82175302
ただし、福岡藩はこの直後、親幕府派が藩政を牛耳り、乙丑の獄によって尊王派を根こそぎにしてしまった。これにより、西郷が企図した薩摩・長州・福岡の三藩連合は慶応元年段階で頓挫してしまった。

  

2018-08-12 20:48:59

町田 明広
@machi82175302
薩摩藩にとっては、有力なパートナー候補の福岡藩の脱落によって、連携相手は長州藩に限られることになった。これは、薩長融合を期せずして促進した要因の一つであろう。乙丑の獄、それにしても、惜しい人材を多数失う結果を招いた。

  

2018-08-12 20:49:21

町田 明広
@machi82175302
なお、西郷は「勿論弊藩抔は、如何様軍兵を相募り候共、私戦に差し向くべき道理これなく候間、断然と断り切る賦に決定いたし居り候」(月形宛、4月25日)と、この段階で長州再征への不参加を明言、薩摩藩の抗幕体制が既に強固なレベルにあることが窺える。

  

2018-08-12 20:49:40

町田 明広
@machi82175302
先週も触れたが、老中本荘宗秀および阿部正外が計3000もの幕兵を率いて、2月5・7日に相次いで上京する。その目的は慶喜の東帰を図り、京都守護職・所司代を罷免し、諸藩の勢力を京都から駆逐して幕府が制圧すること、そして、将軍家の上洛取り止めの伝達することも伴った。

  

2018-08-12 20:51:11

町田 明広
@machi82175302
江戸の幕府本体の一会桑勢力、特に慶喜への警戒心が尋常なレベルでないことは注視すべき点である。なお、ドラマでは慶喜が将軍家茂からの書状を破り捨てていたが、さすがに。。

  

2018-08-12 20:51:29

町田 明広
@machi82175302
2月22日、両老中が参内したところ、関白二条斉敬によって慶喜・尾張慶勝(長州征伐総督)の東帰、将軍家の未進発等につき詰問・叱責を受け、老中本荘宗秀は摂海防御のため下坂、阿部正外は将軍家の早期上京を周旋するため東帰を沙汰された。二条の強気の背後に薩摩藩あり。

  

2018-08-12 20:52:35

町田 明広
@machi82175302
参勤交代・諸侯妻子在府の復旧および毛利父子・五卿の東行の中止が実現し、一方で福岡藩と連携した五卿の復権と朝威の回復が頓挫したことも相俟って、小松と西郷は4月22日に退京し、藩船胡蝶丸で25日に大坂を発して5月1日に鹿児島に帰藩した。なおこの時、坂本龍馬らを同行している。

  

2018-08-12 20:53:40

町田 明広
@machi82175302
大久保が再上京する閏5月10日まで約2ヶ月足らず、小松・西郷・大久保が在京していない。これは中央政局よりも藩地に割拠して、貿易の振興や軍事改革・武備充実による富国強兵を目指すとする藩是が優先されたことになる。

  

2018-08-12 20:54:17

町田 明広
@machi82175302
この3名を欠いた中央政局は、島津伊勢・内田正風・岩下方平・吉井友実が担当することになった。なお、4月19日、小松は帰藩の暇乞いに正親町三条実愛を訪ねて時事に関する意見を述べており、将軍の上洛時は率兵上京する旨明言し、兵力を背景にした政局運営を示唆した。

  

2018-08-12 20:54:42

町田 明広
@machi82175302
小松帯刀について、『中山忠能日記』によると、「薩家老今般上京名前 (若年之由)相応人敷預り入京、専非常用意致居候由陽内咄ノ由」と、薩摩藩家老が大兵を率いて上京して非常の事態に備えるとの近衛忠房の話を記している。

  

2018-08-12 20:56:34

町田 明広
@machi82175302
そして、「小松帯刀弥京地住居申付ノ由、(略)方今大ニ正論唱居以後役家等へ出頭ニハ、人数引連厳重ニ尽力ノ由陽家内咄ノ由」と、家老を小松と断定し、上京後は武威をちらつかせて朝廷に迫るとの見通しを示した。小松の中央政局における注目度の高さが窺えよう。

  

2018-08-12 20:56:57

町田 明広
@machi82175302
さて、小松は帰藩後、薩摩藩の慶応改革と呼べるような富国強兵策を推し進めた。更なる海軍力の向上を図るため、軍艦購入を積極的に進め、慶応元年中に龍田丸・開聞丸・萬年丸・三邦丸・桜島丸(長州藩から依頼)を、2年に大極丸、3年に春日丸を購入した。

  

2018-08-12 20:57:24

町田 明広
@machi82175302
集成館に機械工場を設置し、艦船の修理を可能とし、それにかかる日数や経費の削減を実現した。また、軍備強化のため、慶応元年閏5月には砲術館を再興し、6月に城下六組および水軍隊に砲術操練を実施する規則を定め、9月に陸海軍の充実を企図して兵器弾薬等の配給制を布達した。

  

2018-08-12 20:57:35

町田 明広
@machi82175302
慶応2年5月には海軍方を設置し、海軍所(東郷平八郎が一期生)を開設するため、志願兵を公募するなど、制度、施設設備などの充実を目指した。更に、8月には陸軍操練所を設け、陸軍の改革を断行した。

  

2018-08-12 20:58:00

町田 明広
@machi82175302
その進捗状況について、例えば、慶応元年8月段階では、在府の側役格・江戸留守居役の新納嘉藤二がその著しい成果を述べており、慶応改革は進展していたことが窺えよう。やや小松に対する言及が過ぎたか(^_^;) 

  

2018-08-12 20:58:23

町田 明広
@machi82175302
5月16日に至り、征夷大将軍徳川家茂は長州再征のため、陸路江戸城を進発した。その一報が鹿児島にもたらされると、中央政局に見切りをつけ、小松・西郷・大久保の全員が帰藩していた薩摩藩においても対応を検討することになった。

  

2018-08-12 20:59:32

町田 明広
@machi82175302
当時の薩摩藩の方針は、長州再征後の幕府の矛先が薩摩藩に向かうことへの警戒心から、久光は藩地に割拠して、貿易の振興や軍事改革・武備充実による富国強兵を目指し始めており、幕府から距離を置いて将来の戦闘に備えるという抗幕志向を明確にしていた。

  

2018-08-12 20:59:47

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