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西郷どん 第43話「さらば、東京」感想・実況の4ページ目です。

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西郷どん 第43話「さらば、東京」感想

ぞぞ
@LqGnv
従道のこれからを考えると本当に泣ける
君が一番苦労する…

  

2018-11-18 20:43:32

かな ドラマ鑑賞アカ
@kanadorama
序盤からこの最終盤まで、この物語が西郷と大久保の、もつれ合う縁の物語だと思えば、その描き方は誠実だったと思いますよ。誰からも『モテる』愛され信任される男と、ただ一人しか信じられない、愛せない男のブロマンスとして至極上質な物語で。

  

2018-11-18 20:43:12

かな ドラマ鑑賞アカ
@kanadorama
西郷どん タグなしで少し原作の話を。あとドラマは3.4回ですかね、実は原作でも西南戦争の描写は少なめで、ドラマでの西南戦争の描写も同じくらいの比率になりそうです。そこからも、やはりこれは「二人の幼馴染の男の人生の顛末」だったのだと思います。

  

2018-11-18 20:44:20

nekotosafra
@nekotosafra2
 誰かを悪者にしてるように見えるだろうか。少なくとも大久保が西郷と決裂した経緯は時間をかけて描写されているから、西郷の頑なさも大久保の情熱もどっちが悪かったということではないのは分かる。

  

2018-11-18 20:45:47

町田 明広
@machi82175302
「西郷どん」43回目を拝見!本日は明治6年政変がメインでした。冷徹な政治家と化した大久保と、あくまでも情で推す西郷の激突、そして分かり合えたもの同士の別れの場面、実に見ごたえがありました。なお、ストーリー自体はドラマとしての脚色が中心です。

  

2018-11-18 20:45:24

町田 明広
@machi82175302
西郷の朝鮮派遣問題に入る前に、その前提となった当時の日本が抱えていた外交問題について触れておきたい。廃藩置県が成功して文字通りの維新が断行され、内政が軌道に乗り始めると、いままで等閑視されてきた近隣諸国との問題点が改めてクローズアップされ始めた。

  

2018-11-18 20:46:01

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町田 明広
@machi82175302
当時、日本人を憤慨させながらも、我慢してきた外交問題が3点存在した。最初の問題は、朝鮮との国交問題である。新政府は政権が変わったことを朝鮮に伝え、江戸幕府と同等な交際を求めたが、朝鮮はこれを拒否し、急劇に欧化する日本を非難したため、木戸孝允を中心に征韓論が台頭した。

  

2018-11-18 20:46:33

町田 明広
@machi82175302
さらに、在留邦人への迫害も始まり、こうした朝鮮の無礼な振る舞いを見過ごすことができなくなっていた。次に、台湾征伐に関わる問題である。遭難して台湾に漂着した琉球船の乗組員が、台湾原住民によって殺害された「琉球漂流民殺害事件」について、日本政府は清朝に厳重に抗議した。

  

2018-11-18 20:46:58

町田 明広
@machi82175302
しかし、台湾は化外(統治が及ばない)として、清は日本との交渉に応じなかった。そのため、我が国では台湾を打つべしとの征台論が巻き起こっていた。そして、最大の難問がロシアとの樺太国境問題であった。

  

2018-11-18 20:47:16

町田 明広
@machi82175302
幕末以来、樺太国境の交渉は継続して行われてきたが、合意に達することはできず、両国民の雑居地としたたため、争いは絶えなかった。しかも、明治以降のロシアの南方への侵出は、容認できないレベルに達していた。

  

2018-11-18 20:47:43

町田 明広
@machi82175302
そのため、外務卿副島種臣は函館でロシア公使と交渉するなど、解決に向けた努力を重ねていたが、開拓使次官黒田清隆は樺太放棄を主張しており、足並みが乱れていた。しかし、日本人に対する暴行などの迫害行為が頻発しており、待ったなしの険悪な状況となっていた。

  

2018-11-18 20:48:06

町田 明広
@machi82175302
この中で、西郷は朝鮮問題を取り上げた。その理由は、幕末以来、征韓問題は継続して議論されており、地理的にも近いこと、また、イギリスもアメリカも朝鮮出兵には好意的であったことによる。

  

2018-11-18 20:50:22

町田 明広
@machi82175302
しかも、明治6年(1873)6月、朝鮮在留の外交官から改めて朝鮮側の対日強硬姿勢が伝えられ、西郷には渡りに船となった。閣議において、土佐藩閥を代表する板垣退助は即時派兵を訴えたが、西郷は異議を唱え、いきなりの派兵は疑惑を招き、交渉はうまくいかないと述べる。

  

2018-11-18 20:52:58

町田 明広
@machi82175302
そして、西郷はまずは自ら使節となって朝鮮に赴き、公理・公道をもって説得すれば、朝鮮も悔悟して反省し、国交を結ぶことに応じるだろうと主張した。このあたり、西郷が遣韓使節を願い出た経緯について、ドラマではやや唐突感があったか。

  

2018-11-18 20:53:49

町田 明広
@machi82175302
三条実美が西郷に護衛兵を付けるとことを提案したが、西郷は、万が一朝鮮側を説得できず、使節を冒涜し殺害でもすれば、その時こそ朝鮮の罪を世界に訴えて、出兵すればよいと主張した。西郷はあくまでも、武装せず礼装で赴くことにこだわった。

  

2018-11-18 20:54:39

町田 明広
@machi82175302
西郷は、大義名分が乏しい派兵には断固反対であり、いきなりの派兵は、公理・公道を逸脱する野蛮な行為と見なしていた。西郷にとって、そこを押さえた上での出兵(征韓)でなければならなかったのだ。

  

2018-11-18 20:55:37

町田 明広
@machi82175302
そもそも、不意を突いて敵陣に単独丸腰で乗り込み、話し合いに持ち込んで決着を図るのは、幕末以来の西郷の交渉スタイルであった。この時も、事態の打開はこれしかないと確信していたのだろう。

  

2018-11-18 20:56:21

町田 明広
@machi82175302
また、交渉が決裂した場合、行き場に困っている士族を派兵することで、活躍の場を提供して救済することが可能であり、その不満を外に向けさせ、内政の安定を図ることができると西郷は確信していた。

  

2018-11-18 20:57:11

町田 明広
@machi82175302
また、交渉が成立した場合でも、欧米からの防波堤として、軍隊を派兵することを朝鮮に認めさせるつもりだったのではないか。とは言え、西郷は十中八九、今回は殺されると思っていたに違いない。つまり、交渉成立はあり得ないと踏んでいたはずである。

  

2018-11-18 20:59:01

町田 明広
@machi82175302
加えて、西郷一個の問題として、島津久光との確執も大きな影響を与えたかも知れない。西郷は死ぬまで政府に留まるつもりはなく、恐らく、岩倉使節団が帰国すれば、政界引退の決心であったろう。朝鮮派遣が最後の務めとの認識である。

  

2018-11-18 20:59:27

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町田 明広
@machi82175302
西郷派遣は、外遊中の佐賀藩出身の副島種臣の帰国を待って決定としたが、ロシアと清が中立を守ることを掴んでいた副島も同意し、明治6年8月17日の閣議で西郷の朝鮮派遣が決定し、三条がその結果を明治天皇に奏上した。

  

2018-11-18 21:01:50

町田 明広
@machi82175302
明治天皇によって西郷の朝鮮派遣は嘉納されたが、岩倉の帰朝を待ってその意見を徴してからとの条件付きであった。しかし、それは儀礼的なものと解釈した西郷は、事実上の決定と捉えて喜びを爆発させている。この時の喜びようは尋常ではなく、そう状態にあったと見なせるほどだった。

  

2018-11-18 21:02:12

町田 明広
@machi82175302
西郷は自身亡き後の征韓準備に抜かりなく、板垣退助や薩摩藩出身の伊地知正治に派兵計画を立てさせている。また、明治5年(1872)8月、西郷は板垣と相談し、陸軍少佐別府晋介・北村長兵衛を朝鮮に、また、外務省出仕の池上四郎・武市正幹・彭城中平を満州に、それぞれ潜入させた。

  

2018-11-18 21:03:09

町田 明広
@machi82175302
彼らは朝鮮人に成りすまし、現地での情報収集を行い、社会情勢の把握に努めるとともに、英米仏の動向などにも目を光らせた。池上四郎などは清の奥地まで入り込み、上海経由で帰国している。帰朝後、彼らは復命書を提出し、朝鮮は脆弱であり、派兵すれば簡単に占領できると報告した。

  

2018-11-18 21:03:39

町田 明広
@machi82175302
なお、西郷は清国南部や台湾にもスパイを潜入させ、その他係争地における情報探索にも抜かりはなかった。西郷は、殺害された後の事は任せながらも、陸軍のトップとして、道筋だけは付けようと努めていたのだ。想像以上に抜かりのない準備と言えまいか。

  

2018-11-18 21:03:55

町田 明広
@machi82175302
明治6年政変について、内地優先派VS征韓派と言われて久しいが、大久保らに内地優先の思いがなかったとは言えないが、実際は、西郷内閣(留守政府)と外遊グループの権力闘争の域に留まる。このあたり、詳細は拙著『歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像』を参照ください。

  

2018-11-18 21:06:20

町田 明広
@machi82175302
ドラマでは影が薄かったが、政変のフィクサーとなったのが伊藤博文であった。伊藤は外遊中に犬猿の仲となった大久保と木戸の仲を取り持ち、三条実美を自派に取り込んで岩倉具視と連携させ、西郷派遣を粉砕して一気に形勢逆転を謀ろうとした。

  

2018-11-18 21:07:32

町田 明広
@machi82175302
伊藤博文の勧誘によって、佐賀藩出身の大隈重信・大木喬任を始め、西郷によって世に出たはずの黒田清隆まで外遊グループに取り込まれた。そして、逆転勝利の切り札として大久保利通を参議にすることが画策された。大久保が何でもかんでも、自分でお膳立てしたわけではない。

  

2018-11-18 21:08:05

町田 明広
@machi82175302
当初、大久保利通が参議就任に難色を示したため、岩倉具視・三条実美から大久保支持で裏切らないとの請書を取ることで説得し、いよいよ明治6年10月14日の閣議で西郷と大久保が雌雄を決することになった。

  

2018-11-18 21:11:26

町田 明広
@machi82175302
当日の閣議には西郷派として板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣、大久保派として三条実美・岩倉具視・大隈重信・大木喬任が出席した。とは言え、岩倉使節団帰国前の留守政府での会議で、西郷派遣を認めている三条・大隈・大木は反対意見を述べることはできなかった。

  

2018-11-18 21:12:06

町田 明広
@machi82175302
そのため、勢い大久保利通が岩倉具視の加勢を得つつも、孤軍奮闘を余儀なくされる布陣となった。大久保の胆力たるや恐るべきだが、その悲壮感も察して余りある。いよいよ、西郷・大久保の両雄激突の瞬間である。

  

2018-11-18 21:12:20

町田 明広
@machi82175302
当時の議事録などは存在していないため、実際の激論内容の正確なところは分かっていないが、今までの両雄からは考えられない怒号で、西郷と大久保が言い合ったらしい。板垣などは、ちょっとやり過ぎではないかと冷や汗をかいたらしい。

  

2018-11-18 21:12:50

町田 明広
@machi82175302
結局、この閣議では結論に至らず、翌日に持ち越された。西郷は前日に言い尽くしたとして欠席し、代わりに板垣退助・副島種臣が大久保と対峙して譲らず、議論は平行線のままとなり、一端休憩となった。板垣や副島も相当頑張ってる。

  

2018-11-18 21:13:47

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町田 明広
@machi82175302
三条実美・岩倉具視は西郷の辞職を恐れ、西郷派遣を決めてしまう。裏切りにあい怒った大久保利通保は、10月17日に辞表を提出し、木戸孝允・大隈重信・大木喬任もそれに追従した。閣議取りまとめ役の三条は板挟みになり、窮地に陥ることになる。

  

2018-11-18 21:15:38

町田 明広
@machi82175302
岩倉が欠席した17日の閣議で、西郷は三条に即刻の奏上を迫ったが、岩倉の出席にこだわる三条は、1日だけの猶予を懇請したため、後藤象二郎の取り成しで西郷は渋々承諾した。これが運命の1日になろうとは、誰も想像などできなかった。西郷の人の良さが、裏目に出たのだ。

  

2018-11-18 21:15:59

町田 明広
@machi82175302
10月17日の閣議後、三条実美は岩倉具視邸に向かい、明日2人で明治天皇に奏上することを依頼したところ、大久保の怒りに慌てた岩倉は辞意を表明し、三条にすべての責任を押し付けて、自分は逃げようと謀った。三条は絶体絶命の事態に陥った瞬間である。

  

2018-11-18 21:16:25

町田 明広
@machi82175302
三条実美はなす術がなく、極度に精神衰弱したためか、翌10月18日朝、錯乱状態となって人事不省に陥り、奏上などできる状態ではなくなってしまった。これは両派にとって、意外な展開であった。なお、さすがにこの状態の三条と西郷は会えないだろう。。 

  

2018-11-18 21:18:14

町田 明広
@machi82175302
三条実美の状態を知った伊藤博文はこれ幸いと起死回生の策を巡らし、岩倉具視を三条に代わって太政大臣代理に就け、閣議決定の奏上の際に独自の反対意見も奏上させるという奇策に打って出た。

  

2018-11-18 21:18:48

町田 明広
@machi82175302
奏上の前日、西郷・板垣退助・江藤新平・副島種臣は打ちそろって岩倉を訪ね、理路整然と閣議決定のみの奏上を求めたが、岩倉具視は頑として受け付けなかった。勝負ありの瞬間であった。岩倉の胆力にも一目置かなければいけない。岩倉にも譲れない信念があったことに他ならない。

  

2018-11-18 21:21:31

町田 明広
@machi82175302
その帰路、西郷は副島に「長袖(公家)、ついに国家の大事を誤る」とつぶやき、さらに周囲に「岩倉公は、よく踏ん張った」と苦笑した。西郷の憤懣やるかたない思いと、諦めの境地を感じることができるが、岩倉を揶揄して、にこりとしたあたり、いかにも西郷らしいと言えまいか。

  

2018-11-18 21:21:51

町田 明広
@machi82175302
10月24日、岩倉は奏上にあたり、自説のみを開陳し明治天皇の裁可を得た。ここに、西郷の朝鮮遣使は無期延期とされたのだ。これに反発した西郷・板垣・後藤・江藤・副島は辞表を提出し、下野した。西郷は、陸軍大将は留任とされたが、参議の辞職はすぐに認められた。

  

2018-11-18 21:23:46

町田 明広
@machi82175302
ここに、外遊グループの完全勝利が確定したのだ。大久保内閣が事実上成立し、政変を主導して晴れて参議となった伊藤と大隈が配下で両腕となり、中央集権的官僚国家の建設に邁進した。汚職まみれな長州閥も政変によって救われ、軒並み復権を遂げた。

  

2018-11-18 21:24:27

町田 明広
@machi82175302
なお、明治14年政変によって、大隈重信は伊藤博文によって失脚に追い込まれるが、これは、大隈の過度な民権尊重とも言える急進性が嫌われた。

  

2018-11-18 21:24:44

町田 明広
@machi82175302
大隈重信は、必ずしも清廉潔白の政治家とは言えず、西郷とは終始、そりが合わなかったものの、結果として、自由で改進的な雰囲気を持った西郷内閣の一員であった事実から、逃れることができなかったとも言えよう。

  

2018-11-18 21:25:01

町田 明広
@machi82175302
西郷は帰郷するにあたり、大久保を訪ねた。今や不倶戴天の敵となった大久保に、後事を託すためであったが、大久保は逆切れして、いつも投げ出して後始末をさせると言い放って、西郷を沈黙させた。西郷退席後、同席していた伊藤博文がさすがに言い過ぎではないかと諌めた。

  

2018-11-18 21:26:47

町田 明広
@machi82175302
大久保は伊藤に対して非を認めたが、まさか西郷の訪問を受けるとは思わず、しかも政変フィクサーの伊藤が居たことへのバツの悪さもあり、動転して言わずもがなのことを口走ったのかも知れない。大久保も偉大であるが、やや西郷に器の大きさを譲るエピソードかも知れない。

  

2018-11-18 21:27:00

町田 明広
@machi82175302
そして、西郷は鹿児島に戻った。近衛少将桐野利秋・近衛局長官篠原国幹・宮内大丞村田新八ら大勢の鹿児島出身者が官を辞し、西郷を求めて鹿児島へ戻ってしまった。その他、西郷を慕って下野した旧薩摩藩士族は600人以上に膨れ上がった。西郷の悲劇は、目前に迫っていたのだ。

  

2018-11-18 21:29:23

町田 明広
@machi82175302
そう言えば、今回のドラマには篠原国幹がいないな。

  

2018-11-18 21:29:48

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